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第3回 歴代天皇陵めぐり

第3回 歴代天皇陵めぐり

2020/03/03

 本記事は、当社代表の須田が所属している、日本生産性本部主催経営コンサルタント養成講座OB会(茗谷倶楽部)発刊の会報「茗谷」に、昨年寄稿した原稿を加筆したものです。
合計3回にわたり、天皇陵めぐりの魅力について連載します。

公益財団法人日本生産性本部
https://www.jpc-net.jp/

茗谷倶楽部
https://www.meikokuclub.com/

 
天皇陵古墳の謎
 天皇陵が、現在の場所に治定(じじょう)され整備されたのは、幕末から明治にかけてです。過去には元禄時代に本居宣長などが修陵事業を行ったことはありますが、本格的には尊王思想が普及した幕末からです。
 天皇陵をはじめとした陵墓参考地は、宮内庁が管理しています。宮内庁では「陵墓は皇室の祖先のお墓で、今でも祭祀が行われている。静安と尊厳を保つのが本義」という理由から、発掘調査を許可していません。そのため、考古学者やジャーナリストは、宮内庁の閉鎖的な姿勢に対して強く批判しています。
 
 発掘調査ができないだけに、古代天皇陵をめぐっては様々な謎が秘められています。
 一つ目は、2代綏靖から9代開化天皇までの存在です。欠史8代といわれ、日本書紀や古事記に名前は記されていても、業績やエピソードが殆んど残されていないため、実在しなかったのではないか、というのが通説です。
 
 二つ目は、「被葬者と天皇陵とは本当に一致しているのか?」ということです。古代から中世までの天皇陵がどこにあるのかは、江戸時代までほとんどわからない状況でした。そもそも、古墳には墓誌はなく、被葬されている人の名は刻まれていません。戦国時代では、天皇陵古墳が戦場になることもありました。
 百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されてから、この議論が再燃しています。様々なミステリーを内包しながらも古代古墳にはロマンがあります。謎が深いほど興味がそそられます。

 
探す楽しさ
 ところで、平成の時代は、技術革新が格段に進んだのを実感します。今ではスマートフォンやグールグルマップ、カーナビなどの文明機器を操作すれば、天皇陵はどこにあるのか容易に検索できます。
 私が最初に巡った約25年前は、そのような便利な機器はありませんでした。携帯電話の前身、PHSが出始めたころです。慣れない関西の地で地図を見、時々行き交う人に尋ねながら探したものです。交通手段のないところではロードマップをみながら、自家用車で何時間も探しました。木が茂るドーム型の小山を見つけると、ワクワクしました。
 
 天皇陵は人里離れた不便なところにもあります。思い出されるのは第56代清和天皇陵です。真夏の炎天下の山の中、もう何ヵ月も人が足を踏み入れていないのか、参道が雑木林と化して行く手を遮ります。進むにつれ、ところどころで何かの生き物が逃げたような、ササッと笹の鳴る音が。恐怖で参道を一気に駆け上がりました。なかにはそんな場所もあります。
 
 神武天皇陵や明治天皇陵などの著名な天皇陵以外には、案内板はありません。普通の人はわざわざ探してまでは行くことはありません。周辺の景勝地や名所、食事処も紹介するガイドブックがあれば、もっと多くの人が訪れるのではないかとも思います。

 
私の夢
 来年還暦を迎えます。徐々に仕事をセーブして空いた時間を歴代天皇陵めぐりに充てるのを計画しています。以前は転勤先だったので時間的な余裕はなく、主に自家用車で訪れていましたが、今後はできるだけ公共交通機関だけで回ろうと思います。ご陵印は掛け軸に押して飾りたいと思います。
 
 社会保険労務士として就業規則やIPO(株式公開)と労務管理、あるいは社会保険手続きの書籍を執筆していますが、今後、趣味の分野でも書籍が出版できたらいいな、と夢を抱いています。
 
宮内庁ホームページ(天皇陵)
https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/
 

百舌鳥・古市古墳群(大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市)