あなたは性善説派? それとも性悪説派?
2021/02/19
2021/02/19
オーナー系中小企業の経理責任者、つまり会社の金庫番は、通常、社長の妻または親族に決まっています。
これについては敢えて説明を要しませんが、最大の理由は他人でもある従業員にお金の管理を任せるのは不安があるからです。
確かに、従業員に任せたことによる横領などの不正事件は、ときどき起こります。
このようなことを耳にすると、社会保険労務士の立場では性善説より性悪説に立って物事を考え、対策を練る必要がある感じます。
性善説に立つか、あるいは性悪説に立つかは、自身の過去の経験が教訓になります。
過去に不正行為による被害を受けた経験のある経営者は、どちらかというと性悪説に立って判断する傾向があります。
逆にそのような経験のない経営者は、原則として性善説に立ちます。
どちらがよいというのではなくて、人間は過去の経験がベースとなって判断する動物だからです。
一方、従業員側からみればどうでしょうか。
性善説に立って従業員を信用して何ら対策を講じていない会社は、居心地はいいかもしれません。
風通しもいいでしょう。しかし、信用を損ねる事件が起これば誰が疑われてもおかしくありません。
社内の雰囲気は急変します。
もちろん、不正行為を起こした従業員が悪いのですが、結果として起こりやすい職場環境を放置していた会社にも責任はあります。
では性悪説に立ち、何でも不正対策を講じるような職場だとどうでしょうか?
懐疑的で、常に監視されているような雰囲気になります。 横目で人を見るようなピリピリ感があるかもしれません。
防犯対策と称し、社内に監視カメラを設置している会社もあります。代々続いた家族主義的な会社の社風には馴染みません。
しかし、対外的には様々な対策を講じている会社の方が信頼はされます。
性善説または性悪説という二者択一の議論をするから、このように考えてしまうものと思います。
そうではなく、「そもそも人間は生まれながらにして、人に喜んでもらうことをしたいという気持ちとともに、何かの弾みで
悪いことをしてしまう性分の両方を持ちあわせている」と考えるべきではないでしょうか。
アメリカの心理者マクレガーが提唱したX理論・Y理論では、
X理論は、「人間は生来怠け者で、強制されたり命令されなければ仕事をしない」
Y理論は、「生まれながらに嫌いということはなく、条件次第で責任を受け入れ、自ら進んで責任を取ろうとする」
と、人間には両面があるのを唱えています。
マクレガーのX理論・Y理論にならい、自社の内部けん制やチェック体制に欠陥はないか、あるいは必要以上にやり過ぎて
息苦しい雰囲気になっていないか、性善説と性悪説の両面から検討してみてはいかがでしょうか?